残憶記

どう過ごしたか記憶が残らない日々を過ごしているわたしが、何かをしていたことを少しでも記録するブログ。

細谷雄一『安保論争』

細谷雄一『安保論争』(ちくま新書、2016年7月)を読みました。

安保関連法成立時の論争から導かれた、日本の安全保障の課題についてまとめられていた。


まずは、安保関連法反対派が主張が極めて一国主義的な平和論であるという点で
他国への冷淡な態度は、憲法前文に掲げる「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という
世界への平和をうたう理想主義に反している精神であるとして、憲法9条のみで平和主義を語ることを諫めている。


次に過去の歴史からは、力の空白が生じる地域においては、ほとんど常に周辺の膨張主義勢力の拡大が見られてきたこと、
また、そういった環境から自国のみで安全保障を満足に行えない国が自らの安全を維持する手段として、また国際秩序レベルでの
安定を実現する手段として、集団的自衛権という概念が認識され、同盟により制度化された国際秩序が形成されてきたと指摘する。
こういった歴史的背景の中で、なぜ日本では集団的自衛権が「違憲」であり、平和を害するものとして認識されてきたのかについて
戦後日本の政治空間の中での内閣法制局憲法解釈の変遷をたどり、国際政治環境に応じ変わってきた政府解釈が硬直化していき、
環境変化から取り残されていったと説明する。


この中で、脅威が偏在化し、一国だけでは十分に国民の安全を守り切れない現在の安全保障環境に適応するための施策として
安保関連法があるとし、改めて反対していた人々に、具体的にどのように日本や世界を平和にしたいのかと尋ねていた。


本書では、反対派と目される方の書籍や発言を追い、頭ごなしではなく、丁寧に反論していると感じられ、
著者自身の安全保障環境への向き合い方に真摯なものを感じた。
一方、多くの重要な法案を一括にして、政策の中身についての理解が広がる前に採決されてしまったことへの不信感には共感できるものがある。
国民の安全保障への無関心が、政府をもって、どうせ国民はわからないから説明しなくてもいいといった国民軽視を生んでしまった
のではないかという疑念が拭えない。一方、議論の行きつく先が安倍首相個人への批判となってしまったことは、
議論の所在が分からないテーマを扱いきれず、わかりやすいテーマに移っていた結果として理解してみると、とても残念な気分になる。


安全保障についての議論はあまり深まっているものではなく、今後も良くも悪くも何度も議論されなくてはならないテーマだと考えるし、
できれば、最悪の状態になってから国民が向き合うということにはならないでほしいと思う。

安保論争 (ちくま新書)

安保論争 (ちくま新書)