残憶記

どう過ごしたか記憶が残らない日々を過ごしているわたしが、何かをしていたことを少しでも記録するブログ。

復帰

ご無沙汰しております。

本ブログを始めるきっかけは、
自分の思考力、記憶力、文章作成能力が時を経るにつれ、劣化してしまうかもしれない
との予感から、その防止を目的に、就職を機会として始めました。

それより3年半が経過し、過去の予言通り、とても自分に自信が持てないレベルに
なりつつあります。
継続することの大切さを身をもって感じております。

今日からまた始めようと思いますが、そのうち、また消えるでしょう。

よろしくお願いします。

遠藤乾『統合の終焉』

 遠藤乾『統合の終焉』(岩波書店、2013年4月)を読みました。

 インパクトのあるタイトルで棚に呼び込まれるように近づき手に取った本書。


 第二次大戦後のヨーロッパ統合は、単線的にEUを形成していく過程ではなく、ソ連と接し(西)ドイツを抱え、アメリカにバックアップされた西欧諸国が
経済、軍事、規範の3つの面で対応する「EU(EC)−NATO−CE体制」のもとで進められていったものとしたうえで、その基本的な背景となる冷戦、
米欧関係の変化、さらにEUNATO−CE体制そのものの変容と憲法制定の放棄により、これまで進められてきた連邦国家建設を目指した「統合」が
終焉を迎えたとする。


 大文字の統合が終焉した後の小文字の統合は、なぜ行われるのか。この問い自体は本書では直接問われてはいなかった。
すでに存在する統治機構を機能させ続けるためであると考えられるが、これはどのような理念や思想に依拠すると考えればよいものなのか。
ここで思い起こされるのは、ミトラニーの機能主義である。ユーロ危機に対応するためのEUへの集権化の動きは、まさに機能主義的ではないだろうか。


 全体として指摘されるのは、グローバル化時代の政治及び政治学のあり方についてであろう。
世界市場という圧倒的な趨勢を政治が制御できず縮減している。また政治学など社会科学全般に見受けられる方法論的ナショナリズム下の学問知では、
現代的な現象を捉えきれておらず、再検討が求められている。
著者の言葉は重いが、一方で12章では、だからといってあきらめるなと、EUを通した社会科学の課題を挙げ、盛りたてている。


 特に読み応えがあったのは、Ⅰ部のモネ、ドロール、サッチャーの統合におけるリーダーシップのについての3章。
統合時の鋭い政治的な駆け引きについての描写はやはり興味深い。統合史は、だからおもしろい。
5章から9章にかけても、現代のEUを理解する上での課題が整理されており、勉強になった。
 

 この手の本を読むのは間が空いていたため、読み終わるのにどれくらいかかるか不安だったが、興味深い本であったためにあっさり読み切ってしまった。
内容的には論文等で事前に読んでいた章もいくつかあったことが要因ではあると思うが、それにしても、どの章も全く別物を読んでいるように楽しく読めた。

 勉強になりました。

統合の終焉――EUの実像と論理

統合の終焉――EUの実像と論理

宮下奈都『メロディ・フェア』

宮下奈都『メロディ・フェア』(ポプラ文庫、2013年4月)読みました。

友人に紹介できる小説を探しているなかで手に取ったのが本書。
この著者の作品は2冊目です。

終始、軽やかに語られた作品でした。
主人公結乃のゆるやかだけど、確かな成長を作中で感じられました。
読み進めていくうちにちょっとずつ元気になっていけた気がします。

文字を通して登場人物の感覚や感情に触れられるということを
感じさせてくれる作品でした。

([み]3-1)メロディ・フェア (ポプラ文庫 日本文学)

([み]3-1)メロディ・フェア (ポプラ文庫 日本文学)

辻村深月『ツナグ』

辻村深月『ツナグ』(新潮文庫、2012年)読みました。

死者との邂逅。辻村深月らしからぬ設定であり、映画化とか売れているとかで、
避けていた作品。結局読みました。
さすが、辻村深月
それぞれの心得ごとに心を揺さぶられましたが、
後半に行くにつれ、揺さぶられ方が増していきました。
親友の心得。これほどまでに激しく魂をぶつけ合うか。
辻村ワールドの青春の中でも最も救ってほしかった二人でした。


死者との再会はそれまでの人生の一つの区切りとして整理されるものだと
なんとなく思っていましたが、本作の登場人物たちは死者との再会と
その後の生き方のつながりが強くあったように思えます。

これだけ安定してよい作品を書けるのは
本当にすごいことだと思います。
よい作家さんを好きになりました。

ツナグ (新潮文庫)

ツナグ (新潮文庫)

辻村深月『V.T.R』

辻村深月『V.T.R』読みました。

なるほど。チヨダコーキ。
スロウハイツの中でもよく言われていた、
「いつか抜ける」が感じられました。
感じさせてしまう作者、ホントすごいです。
どこか牧歌的でした。最後の最後まで切迫感を感じませんでした。
ティーのキャラクターのせいでしょうか。
正直この作品、読み切れた気がしないのもあります。
ティーとアールの名前がTとRでなかったり、
自分はちょっとわからないことが多かったりします。

もう一度読み直しますか。

V.T.R. (講談社文庫)

V.T.R. (講談社文庫)

上橋菜穂子『獣の奏者 Ⅲ探究編&Ⅳ完結編』

上橋菜穂子獣の奏者 Ⅲ探究編&Ⅳ完結編』読みました!

いやあ、いつの間にかエリンに追い抜かれていました。
エリンにもイアルにも、もっと普通に幸せになってほしかった。


二人とも直接その身をもって歴史の真実にぶつかり、ベールを剥ぎとっていましたが、
いやはやベールの中のすさまじさ。
ラストの狂乱、エリンが呼び込んでしまった、人間の業の結末としての流血嵐。
シリーズの中で最も無機的で人間性を感じさせない寒々しさを感じた場面でした。
飛浩隆『グラン・ヴァカンス』を思い出しました。
ジェシの成長の物語でもあったはずですが、どうしても最後が重く、
作品全体の印象が一気に塗り替えられてしまったような気持ちになってます。


自然と人間と知と。ヒトの生きる世界では自然がヒト本位に認識されやすいですが、
その認識を知の制約によって、限定しようとするジェの深慮。
近代の科学主義は未知を既知へと変え、理解と認識を拡張することで展開されるものですが、
その無邪気な行いも、いづれ制約が必要なほどに到るのでしょうか。
すでに核兵器などはその一つとなっていると考えれられますね。


登場人物たちの温かな気持ちの葛藤が、胸にすっと入ってくる良い作品でした。

獣の奏者 3探求編 (講談社文庫)

獣の奏者 3探求編 (講談社文庫)

獣の奏者 4完結編 (講談社文庫)

獣の奏者 4完結編 (講談社文庫)

辻村深月『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ』

辻村深月『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ』(講談社文庫、2012年4月)を読みました。

慟哭の書ですね。どうしようもないリアリティ。救うに救える余地を全く残さない、作者の徹底さにやられました。
ラストにもやられました。自ら招いたことでもあるが、何か他の意志の存在を感じるかのような偶然とその現実の前の無力さに
やられまくりです。

本作にでてくる母親と娘像は、いびつなものばかりのように受けとることもできるが、どこかで平凡さがある。
そして時間の経過と交友関係の変化にも、読者が経験したことがあるであろう心理変化がしっかりと描写されている。

「家族だからと何かを許し、あきらめ〜、結びついた家。形は違っても、どこも皆、共通に抱える病理のような」
この一文と、どうしたって正解を与えあうことのできない親子の関係であるが、それでも一生親子である、という文。
本当にそのとおりです。どうしたって逃れることができない。不整合を修正しているからどこかいびつなのが家族です。

実母、義母、友人の母、自分の娘、友人の娘。女性と女性の血縁関係の中で起こる関係性を多様に描いている本作。
とても重く、そして面白かったです。

ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 (講談社文庫)

ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 (講談社文庫)