残憶記

どう過ごしたか記憶が残らない日々を過ごしているわたしが、何かをしていたことを少しでも記録するブログ。

麻田雅文『日露近代史- 戦争と平和の百年‐』

 麻田雅文『日露近代史- 戦争と平和の百年‐』(講談社現代新書、2018年4月)を読みました。

 グレート・ゲームという単語に惹かれ、ロシアの膨張主義とは何かを調べているうちに、ロシアの極東進出に関心が移ってきたため、本書を読んだ。

 本書では幕末より1945年までの約100年の間、日露それぞれの政治家が互いの国益を抱えながら、いかに相対してきたかがコンパクトに書かれていて、各章ともに興味深く、どんどん読み進められた。

 特に伊藤博文から後藤新平までの明治から戦間期に至る対露政策は、初めて知ることばかりであり、後藤新平ソ連との互恵関係を1920年代に訴えていた事実は非常に興味深かった。ソビエト革命後、ソビエトイデオロギー面への警戒感ゆえに、日本の対外関係認識がイデオロギー化していたのではないかという先入観があったが、後藤をはじめ日本の政治家に、満州での利害を背景とした互恵関係を志向するレアルポリティークな視点があったことを知り、自身の安直な歴史理解を正さなくてはならない思いだった。 

 戦間期で改めて痛恨事と思われることは日独防共協定であり、その後の対独提携関係の強化である。ソ連との中立または不可侵協定締結のための外交カードという一面を含みながら独逸との提携強化へと進んでいき、また南進によってアメリカの怒りを買った日本は、戦争回避への意思を周辺国、特にソ連アメリカに伝えきれずに不信感だけを与え続けた形となっており、外交破綻の無力感を感じた。特に松岡外交は国としての外交方針がどこにあるかわからない、ブラフだらけの立ち振る舞いに見え、日本の国際的な孤立化が深まる一因になったのではないかという思いに駆られた。

 また、日ソ中立宣言をソ連が一方的に廃棄し、1945年8月9日にソ連の対日攻勢が始まったことについて、これまではソ連サイドの一方的な不義理のような印象を持っていたが、1941年のバルバロッサ作戦開始後、松岡外相からソ連駐日大使に対し、独ソ戦に対しては日ソ中立条約は適用されないと明言していたことから、先に不信を買う不義理な振る舞いをしていたのは日本であり、終戦時のソビエトの行いを正当化する意見には賛成できないものの、日本に因果が巡ってきてしまったのではとのやるせなさを覚えた。

 上記のような「不条理なソ連」感は、浅田次郎の『終わらざる夏』を読んだことでより増長されていた感があったが、改めてよく知ることは大切だなと思った。

 本書内で改めて知りたいと思ったものは、①シベリア出兵、②満州経営、③南進・北進論争の内実、といった点で、また関連する本を読みたいと思う。

日露近代史 戦争と平和の百年 (講談社現代新書)

日露近代史 戦争と平和の百年 (講談社現代新書)

 
終わらざる夏 上 (集英社文庫)

終わらざる夏 上 (集英社文庫)