残憶記

どう過ごしたか記憶が残らない日々を過ごしているわたしが、何かをしていたことを少しでも記録するブログ。

小川一水『アリスマ王の愛した魔物』

小川一水『アリスマ王の愛した魔物』(ハヤカワ文庫、2017年12月)を読みました。

なんとなく読まないままにしていたけど、読んでよかった作品。

表題作も面白かったですが、より面白かった1作目が「ろーどそうるず」。

これは、人生(?)でした。

常に走り続けることも大事ですが、それを見守る伴走者がいることがより大切で、伴走者がいるからこそ、過ごす時間も経験にも意味が生じてくる。

といったようなことを考えさせられました。

二作目が「リグ・ライトー機械が愛する権利について」。

なぜ人間が挙動を理解できない機械が存在するのか。この答えを追っていくと、機械自身が「モチベーション」を獲得する過程をなぞるストーリーとなっており、近い未来への示唆の一つのように思った。

話の展開的に、もう少し別方向に行くような予感がしていたが、最終的にはそっちにいったかあと楽しく読めた。たぶん分岐になったのは、アサカが「好きになれないものを好きになれるか」について考えたところだったと読んだが、最後まで読むとここが味わい深い箇所だった気がする。

いともたやすく壊れてしまうものに対し、人間は存外手ひどく扱うというところは、その通りだとおもった。大事にしなきゃ感が大事なのだろうか。

 

あとは、コーンとウニの話。作者はうんっと力が入ったような作品が多いような気がするが、この話は力感を感じず、だらっと読める話。コーンはウニだけではなく、多様な知性体との意思疎通の媒介となっており、存在は最後まで謎ではあったが、かわいらしくてよかった。

 

いろいろな景色を見せてくれる短編ぞろいで、とてもよかった。

誰かに小川一水を薦めるなら、まずは『老ヴォールの惑星』だと思っていたが、本作でもよい。迷う。

 

小川一水『天冥の標Ⅹ 青葉よ、豊かなれ』

  小川一水『天冥の標Ⅹ 青葉よ、豊かなれ』(ハヤカワ文庫、2018年12~2月)を読み終えました。

 part3が出てから一気に読みました。Ⅸまで育ててきた芽を収穫し、さらにⅩだけで全銀河的な広がりを見せたストーリーを見事に収束させて、大団円となりました。今まで約8年素晴らしいシリーズと共に時間を過ごしてこれた、よい長編と出会えてよかったなと、熱い感動が溢れてきました。

 思えば私がイメージする地球外生命体は体格の個体差はあるものの、種としての精神の統率が強く、個体ごとの精神的な多様さはあまりない生命をイメージしておりました。本作でも本星のカンミアはそのような印象が強いですが、それに比べ人類はとても多様で、また地球は多様な種の共存で成り立つのだなと、当たり前のことに改めて思い至ることとなりました。

 私がSFを読み始めた時期に手に取ったのが、この天冥の標シリーズ。どの巻でも、絶望を抱える登場人物たちが前に先に進もうと、もがくストーリーが続きました。読んでいる自分自身が社会人となり、日々つらいと感じながら生活している中、イサリやカドム、アイネイアの勇気を見て、自分もがんばるかと励まされていたなと思います。すべてが完結した今、改めて最初に読んだ時の気持ちを思い出しながら、読み直そうと思います。小川さん、ありがとうございました。

 

 

 

麻田雅文『日露近代史- 戦争と平和の百年‐』

 麻田雅文『日露近代史- 戦争と平和の百年‐』(講談社現代新書、2018年4月)を読みました。

 グレート・ゲームという単語に惹かれ、ロシアの膨張主義とは何かを調べているうちに、ロシアの極東進出に関心が移ってきたため、本書を読んだ。

 本書では幕末より1945年までの約100年の間、日露それぞれの政治家が互いの国益を抱えながら、いかに相対してきたかがコンパクトに書かれていて、各章ともに興味深く、どんどん読み進められた。

 特に伊藤博文から後藤新平までの明治から戦間期に至る対露政策は、初めて知ることばかりであり、後藤新平ソ連との互恵関係を1920年代に訴えていた事実は非常に興味深かった。ソビエト革命後、ソビエトイデオロギー面への警戒感ゆえに、日本の対外関係認識がイデオロギー化していたのではないかという先入観があったが、後藤をはじめ日本の政治家に、満州での利害を背景とした互恵関係を志向するレアルポリティークな視点があったことを知り、自身の安直な歴史理解を正さなくてはならない思いだった。 

 戦間期で改めて痛恨事と思われることは日独防共協定であり、その後の対独提携関係の強化である。ソ連との中立または不可侵協定締結のための外交カードという一面を含みながら独逸との提携強化へと進んでいき、また南進によってアメリカの怒りを買った日本は、戦争回避への意思を周辺国、特にソ連アメリカに伝えきれずに不信感だけを与え続けた形となっており、外交破綻の無力感を感じた。特に松岡外交は国としての外交方針がどこにあるかわからない、ブラフだらけの立ち振る舞いに見え、日本の国際的な孤立化が深まる一因になったのではないかという思いに駆られた。

 また、日ソ中立宣言をソ連が一方的に廃棄し、1945年8月9日にソ連の対日攻勢が始まったことについて、これまではソ連サイドの一方的な不義理のような印象を持っていたが、1941年のバルバロッサ作戦開始後、松岡外相からソ連駐日大使に対し、独ソ戦に対しては日ソ中立条約は適用されないと明言していたことから、先に不信を買う不義理な振る舞いをしていたのは日本であり、終戦時のソビエトの行いを正当化する意見には賛成できないものの、日本に因果が巡ってきてしまったのではとのやるせなさを覚えた。

 上記のような「不条理なソ連」感は、浅田次郎の『終わらざる夏』を読んだことでより増長されていた感があったが、改めてよく知ることは大切だなと思った。

 本書内で改めて知りたいと思ったものは、①シベリア出兵、②満州経営、③南進・北進論争の内実、といった点で、また関連する本を読みたいと思う。

日露近代史 戦争と平和の百年 (講談社現代新書)

日露近代史 戦争と平和の百年 (講談社現代新書)

 
終わらざる夏 上 (集英社文庫)

終わらざる夏 上 (集英社文庫)

 

 

 

細谷雄一『安保論争』

細谷雄一『安保論争』(ちくま新書、2016年7月)を読みました。

安保関連法成立時の論争から導かれた、日本の安全保障の課題についてまとめられていた。


まずは、安保関連法反対派が主張が極めて一国主義的な平和論であるという点で
他国への冷淡な態度は、憲法前文に掲げる「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という
世界への平和をうたう理想主義に反している精神であるとして、憲法9条のみで平和主義を語ることを諫めている。


次に過去の歴史からは、力の空白が生じる地域においては、ほとんど常に周辺の膨張主義勢力の拡大が見られてきたこと、
また、そういった環境から自国のみで安全保障を満足に行えない国が自らの安全を維持する手段として、また国際秩序レベルでの
安定を実現する手段として、集団的自衛権という概念が認識され、同盟により制度化された国際秩序が形成されてきたと指摘する。
こういった歴史的背景の中で、なぜ日本では集団的自衛権が「違憲」であり、平和を害するものとして認識されてきたのかについて
戦後日本の政治空間の中での内閣法制局憲法解釈の変遷をたどり、国際政治環境に応じ変わってきた政府解釈が硬直化していき、
環境変化から取り残されていったと説明する。


この中で、脅威が偏在化し、一国だけでは十分に国民の安全を守り切れない現在の安全保障環境に適応するための施策として
安保関連法があるとし、改めて反対していた人々に、具体的にどのように日本や世界を平和にしたいのかと尋ねていた。


本書では、反対派と目される方の書籍や発言を追い、頭ごなしではなく、丁寧に反論していると感じられ、
著者自身の安全保障環境への向き合い方に真摯なものを感じた。
一方、多くの重要な法案を一括にして、政策の中身についての理解が広がる前に採決されてしまったことへの不信感には共感できるものがある。
国民の安全保障への無関心が、政府をもって、どうせ国民はわからないから説明しなくてもいいといった国民軽視を生んでしまった
のではないかという疑念が拭えない。一方、議論の行きつく先が安倍首相個人への批判となってしまったことは、
議論の所在が分からないテーマを扱いきれず、わかりやすいテーマに移っていた結果として理解してみると、とても残念な気分になる。


安全保障についての議論はあまり深まっているものではなく、今後も良くも悪くも何度も議論されなくてはならないテーマだと考えるし、
できれば、最悪の状態になってから国民が向き合うということにはならないでほしいと思う。

安保論争 (ちくま新書)

安保論争 (ちくま新書)

米澤穂信『追想五断章』

 米澤穂信追想五断章』(集英社文庫、2012年4月)を読みました。
 米澤穂信、久々に読みました。好きな作家なので、文庫が出たら買う気ではいたのですが、あとにしているうちにだいぶ時間が経っておりました。
 主人公自身とその周囲、さらに時代設定と、重層的に暗さを醸し出し、どんどん不穏に展開していくストーリー。今作は『犬はどこだ』『ボトルネック』の米澤穂信です。
 
 謎解きそのものも面白かったですが、モラトリアムを終える芳光の姿が痛々しい。
 彼の周囲には、彼に対する消極的な拒否感が渦巻いているように見えます。まずはゼミ、就活など現実と向き合ってく笙子。次に芳光の暗い先行きを映すような叔父。
そして自分の立ち位置の打破という秘かな期待から依頼に打ち込んでいく芳光を、諦観の中で迎える依頼主。
 彼が東京に来て手にしたかったであろうものを何も手に入れられず、誰ともいられず、ただ立ち尽くす。
そういう意味では彼のモラトリアムは、ありきたりな結末を持つものではなく、いつのまにか本人も気づかずデッドラインを過ぎてしまった結末を持たないものでした。

 あまり浮かない気分で日々を過ごしている今の自分に重ねられる部分が多く、つらく感じる部分もありましたが、これもまた小説の醍醐味ですね。
 次は何か気が晴れるものを読みます。

追想五断章 (集英社文庫)

追想五断章 (集英社文庫)

大澤真幸『〈問い〉の読書術』

 大澤真幸『〈問い〉の読書術』(朝日新書、2014年9月)を読み終えました。

 読書を、自分にとって、より実りあるものとできないか、という問題意識を感じていた中、平棚で自己主張をしていた本書。大澤先生ですし、ぜひ勉強させていただこうと思い、購入した。

 著者が25冊の本を読み、喚起された思考をまとめているブックレビュー集であり、著者の読み筋、思考の行き先が示され、とても参考になる。
 まず、まえがきで書かれていた、よい本は問いを与え、その問いの促すままに思考することが読書の醍醐味であるという文に、そのとおりだと膝を打った。通勤中でも、土日の昼下がりでも、集中して読ませる本は、その文章が醸し出す世界に引きづり込んでいく。そしてそこから、過去の記憶や想像に私を飛ばしてしまう。読んでいて読み応えのあると感じる本は、ほとんど、この例に漏れない。
 
 次に著者が選ぶ25冊だが、私がこれまで読んでいた本についても、改めて照らしながら読み直したいと感じさせ、他の本についても、すぐ読んでみたいと思わされたレビューであった。特に興味深かったのは、岡田英弘著の『世界史の誕生』。世界史の存在、認識について疑い自体を持っていなかった私にとって、その存在論に踏み込む問題意識は極めて刺激的なアイディアに感じた。
 
 著者はあとがきにて、まず書評した本を書いた方々への感謝を記していたが、この姿勢は本を愛した人の自然な姿だと改めて感じ、また著者が本当に、本を愛している人であることを証明したように思え、とても嬉しかった。
 満足感を与える読書は、本当に著者との対話の様相を呈していると思う。本を書いた方々よりも、知識量、そして知的な思考力、さらに経験の数という点で劣っている私の場合、著者にどれだけ正面からぶつかれたかが、理解度、満足感として明らかに現れる。
 その意味で、読書は、自分以上の思考を魔法のように授けるものではなく、本を鏡として自分を映し出す行為だ。より実りある読書などを求めるなどというのは、間違いであり、より実りある読書を可能とする自分を鍛えるしかないのだ。
 
 本書を読み、怠けるなと叱られた気分に、勝手に、なった。時間や環境を言い訳にしても何も変わらないし、知的な思考力はただ漫然と過ごすだけじゃ手に入らないし、維持もできない。
 過去に何者にもなれないと書いたことがあったが、ただ生きているだけで何者かになってしまう、されてしまうということにようやく気がつけた。自分自身を問いなおす上で、次は私にとって、今一番向き合う必要がある本を読もうと思う。

<問い>の読書術 (朝日新書)

<問い>の読書術 (朝日新書)

廣瀬陽子『未承認国家と覇権なき世界』

廣瀬陽子『未承認国家と覇権なき世界』(NHKブックス、2014年8月)を読み終えた。

2014年2月以降続いている、ウクライナ統治機構の混乱を目の当たりにし、なぜあれほど短期間にクリミアがロシアに編入されてしまったのかという自分の関心に応えてくれそうだったため、本書を手にした。

 「領土保全」、「民族自決」という、しばしば相反する教義を戴く現代主権国家体制下の問題として、未承認国家の存在を位置付け、その存在について、国家とは、ナショナリズムとは何かといった理論的な面についての解説とともに、実地調査での成果を芯に据え、主に旧ソ連圏の未承認国家の現状について、つぶさに伝えていた。
 実地調査による論展開により、外野から眺めた、主権国家のイメージから不足要素を引き算してイメージしていく未承認国家論に終始せず、何がそこにあるのか、そこに生きる人が「国家」に何を感じているかまで踏み込んだ報告がされているように感じられ、興味深かった。

 本書を通じて感じた疑問は、未承認国家は主権国家体制の限界の一つの現れなのか、という点。
 モンテビデオ条約を引き、国家の要件、特に広範な国際承認が得られていない点から未承認国家を主権国家体制の外部とみなす議論運びに読めたが、全地球上が主権国家によって覆われたことは過去なく、少なくとも現代までの100年の間に、主権国家間で係争関係にあった領域を国際管理、緩衝国化、共同管理といった、国際政治的な調整の下での統治アイディアは何度も試みられてきた。それらは主権国家体制の限界ではなく、領土保全原則下で各国家の自己保存上の利益を維持するための政治的な知恵と交渉による結果であり、未承認国家もその一つではないのか。
 これは著者の叙述に裏付けられるものであるが、未承認国家は、アメリカ、ロシアのような大国の軍事的プレゼンスの維持に役立ち、また闇経済のルートになることで誰かしらの利益につながる存在である。結果として、現行の国際秩序内部で存在意義があるために、「存続させられ続けている」のである。主権国家体制の外でも限界でもなく、明らかに、主権国家体制の維持、柔軟な運用を目的とした政治的な知恵の結果である。
 また、未承認国家を問題とし、それを解決する動機が書かれていたが、これを弱いと感じた。国際社会が紛争多発地帯を放置するのはリスクであるという議論は、誰にとってどう問題なのかと言う点が必ずしも明確ではなく、問題提起なのかどうか理解できなかった。

 未承認国家が存続させられているという見方は、いわゆるリアリズム的な世界観に通ずるものであるが、未承認国家を含む、国家をテーマとする議論の難しさは、国際関係論の秩序観と、国家の存在理由をそこに生きる人間の存在に還す国民国家に関する議論とをどう整合させるかという点だ。
 本書は、実地調査により、そこに生きる人々の声を完全ではないにしろ拾う調査を行っていた。そして、欧米によるコソヴォの承認以降、ロシアがリアリズム的な思考法の下で、住民のアイデンティティから積み上がる民族自決の議論を利用しながら、未承認国家を設置していった流れを描いていた。
 これらは国家の独立に関する政治学の要点である2点を抑える大事な構成であったことから、本書内でも、より意識的に整理されていると良かった。1章ごとに議論が拡散していたように感じた。
 
 いろいろ書いたが、これだけ書けるくらい勉強になったのは、事実だ。
 未承認国家は主権国家体制の落胤ですね。
 旧ソ連の未承認国家は国家らしい未承認国家だったが、今度は破綻国家から生まれた未承認国家であるソマリランドについて調べてみようと思った。
 知的刺激から遠ざかっていたが、楽しい時間でした。ありがとうございました。

未承認国家と覇権なき世界 (NHKブックス)

未承認国家と覇権なき世界 (NHKブックス)